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日々明々

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目的地有無の旅 

旅には目的地のある旅と無い旅がある。

一般的に言えば目的地を決めて行われており、その目的地に行って何かを楽しむ(例えば、温泉で身体を癒したり、ゆっくりと宿で滞在したり、観光を楽しんだり 等)。

また、“目的地”は形式的に設定されているだけであまり重要でなく実質は移動途中の行為であるような旅、移動中に様々なものを見てゆくことが主たる愉しみである旅もある。

目的地を定めず期間だけを決めて旅に出る人、つまり行き先は成行き(旅先での偶然や必然)に任せてゆく、という旅をする人もいる。

また目的地だけでなく期間も定めず(あてどもなく)長期の旅に出る人もいる。

「放浪の旅に出る」という表現もある。


狩猟時代、人々は食糧採集のために旅をしており、鳥獣を追って山野を歩き、魚をとるために川を上下した。
弥生時代に入ると農民は定住したものの、猟人、山人、漁師などによって食糧採集の旅はつづけられており、また農民以外の職は行商人であったり歩き職人であったりした。
というのは当時は人口が少なく、待っていても仕事にならず、旅をして新しい客をつねに開拓する必要があったからである。
中世から近世にかけては店をかまえる居商人がしだいに増えたものの、かわらず旅をする商人・職人も多かった(例えば、富山の薬売りなど)ほか、芸能民、琵琶法師、瞽女等々もいた。
行政によって強制された旅も多かった。
防人では東国の民衆がはるばる九州まで赴いた。また庸調などの貢納品(租庸調という一種の税金)の運搬で、重い荷物を背負って都まで行かねばならず、途中で食糧もつき命を落とす者が絶えなかった。
近世に入り、運送の専門業者が出現したことで、こうした貢納のための強制された旅は激減した。
やがて自由に自発的に行う旅が生まれ発展していった。
平安時代末期までは交通の環境は苛酷なまでに厳しかったので旅は苦しく、かつ危険であったのであるが、こうした苦難な旅をするのには強い動機があったわけで、それはほかならぬ信仰であった。
僧侶は修行や伝道のために旅をし、一般人は社寺に参詣するために旅をした。
平安末から鎌倉時代は特に熊野詣が盛んであった。
室町時代以降、伊勢参りが盛んになり、また西国三十三所、四国のお遍路などが盛んになった。
それまで徐々に発達してきた交通施設・交通手段が、江戸時代に入ると飛躍的に整備された。
徳川家康は1600年の関ヶ原の戦いに勝つと、翌年には五街道や宿場を整備する方針を打ち出し、20年あまりのうちにそれが実現したためである。
宿場町には、宿泊施設の旅籠や木賃宿、飲食や休息をとるための茶屋、移動手段の馬や駕籠、商店などが並んだ。また貨幣も数十分の一~数百分の一の軽さのものに変わり、為替も行われ、身軽に旅ができるようになった。
またそれまで多かった山賊・海賊も、徳川幕府300年の太平の間にずいぶん減り、かなり安心して旅ができるようになった。
江戸時代には駕籠や馬も広く使われてはいたが、足代(料金)が高い事から長距離乗るのは大名や一部の役人などに限られ、一般人はそれを使うとしてもほんの一部の区間だけが多かった。
船に乗る船旅も行われ、波の穏やかな内海は比較的安全で瀬戸内海や琵琶湖・淀川水系、利根川水系などのでよく行われていたが、外海では難破の恐れもある危険なものであった。
農民の生活は単調・窮屈・暗いものであったので旅をしたがったが、各藩のほうは民衆が遊ぶことを嫌い禁止したがった。
だが参詣の旅ならば宗教行為なので禁止できなかったため、人々は伊勢参宮を名目として観光の旅に出た。
人々の長旅できる機会は、一生に1度かせいぜい2度と、とても少なかったので、一度旅に出たからにはできるだけ多くの場所を見て回ろうとし、京・奈良などでは社寺の広大さに感嘆し、大阪では芸能浄瑠璃や芝居に酔った。
若者の中には宿場の遊女と遊ぶ者もいた。
ただし、京見物までするような長旅ができたのはかなり裕福な人や家長くらいのもので、貧しい人々などは近場で我慢したのであるが、ともあれ、旅が一般民衆によって行われるようになったのである。
現代と比べて娯楽が少ない当時、旅の持つ意味ははるかに大きかった。
なお幕末から明治期の駐日イギリス外交官アーネスト・サトウはその著書「一外交官の見た明治維新」のなかで「日本人は大の旅行好きである」とのべている。
そしてその理由として、「本屋の店頭にはくわしい旅行案内(宿屋、街道、道のり、渡船場、寺院、産物などを記載)の書物、地図がたくさん置いてある」ことなどを挙げている

近代になり、鉄道と汽船が利用できるようになると、一般人でも長距離の移動が楽にできるようになった。1886年、修学旅行の嚆矢とも言われる東京師範学校の「長途遠足」が実施されるが、東京から銚子方面へ11日間軍装で行軍するという、軍事演習色の強いものであった。
太平洋戦争後の日本では、1960年代の高度経済成長頃から企業の従業員による団体旅行(いわゆる慰安旅行)が盛んになった。
目的地は大都会から数時間で行ける温泉地が多く、鬼怒川温泉、熱海温泉、白浜温泉などに巨大な温泉旅館が立ち並び温泉街が形成された。
1970年代になると若者の個人旅行が活発になり、長期間旅行をするための横幅も大きいリュックサックを背負った旅行者「カニ族」が日本各地で旅をし、オートバイツーリングを行う人々「ミツバチ族」が主に北海道に現れ、また若い女性を中心としたアンノン族が京都や軽井沢や中山道の妻籠宿などに大挙して押しかけた。
1970年代後半以降は飛行機の旅も大衆化し、北海道や沖縄県といった遠隔地へも気軽に行けるようになり、また高速道路の開通・延伸やモータリーゼーションの普及によって比較的近距離の旅には自家用車を利用するケースも増えた。
現在の日本国内では旅行の形態は多様化しており、各観光地では独自の特徴を打ち出して集客に努めている。
最近は「癒し」を特徴とする観光地や施設が増えている。
1970年代頃からは海外旅行も手軽に行けるようになったが、中高年男性の「売春旅行」が社会問題化した。
1980年代にはバブル景気および円高を背景に海外旅行者が激増、旅行産業が急成長をとげた。
2007年度まで海外旅行者数は前年度の記録を更新し続けていたが、その後は日本の海外渡航者は減少を続けており、渡航する場合でも韓国や東南アジア、台湾、中国などの近隣諸国が中心となっている。
円高の追い風があるにもかかわらずそうなっているのは、長引く不況の影響により、日本人の金銭的な余裕の減少や不安から出費を抑える傾向になっていることが関係している、とはしばしば指摘されている。




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