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日々明々

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青森県 

青森県は、東北地方の北部に位置する本州北端の県である。
県庁所在地は青森市。
県の人口は1,363,711人、総人口の約1%を占め、県面積は9,644km²で、国土の約2.5%を占める。
県内の市町村数は40で、うち市は10、郡は8、22の町と8の村がある。
県人口の52%は青森市、八戸市、弘前市に居住する。
南に岩手県、秋田県が隣接し、津軽海峡を渡った北に北海道が位置する。
東に太平洋、西に日本海が面する。
世界遺産白神山地を有し、景勝地十和田湖をはじめ八甲田山、岩木山、下北半島の仏ヶ浦などの自然環境が数多く残されている。
青森県の中央部には奥羽山脈が縦走し、西側の津軽地方と東側が南部地方(三八地方・上北地方・下北地方)ではそれぞれ異なる歴史や気候、文化、風土を持つ。
青森県は全国有数の農業産出県であり、食料自給率はカロリーベースで118%である。
主要な出荷品目はリンゴ、ナガイモ、ニンニクが全国一の生産量である。
漁業においても全国有数の水揚高を誇る八戸港があり、サバ、イカが国内一の水揚げがあり、全国に出荷されている。
県南部では国策で建設された八戸臨海工業地帯があり、火力発電所、製紙工場、電気機器工場、造船所及びその関連産業が立地する。
下北半島ではむつ小川原湖周辺に国家事業の原子力関連施設の建設が続いている。
核燃料サイクル施設や国際原子力機関のITER関連施設、原子力発電所が立地し、県内主要企業の日本原燃が本社を置く。
他に、県内には国内で最大級の風力発電施設がある。

県内の交通網は整備されてきている。
空港は青森空港が千歳、東京、大阪、名古屋、韓国仁川、三沢空港が東京への定期便で繋いでいる。
東北新幹線が、新青森駅から東京駅まで最短3時間10分で結ぶ。
在来線は青い森鉄道線、奥羽本線、津軽海峡線(青函トンネルにより北海道と結ぶ)。
主要道路は東北縦貫自動車道弘前線及び八戸線(八戸自動車道)国道4号が日本橋と青森市を終点にして通る。
国道7号が新潟市と青森市を結ぶ。
また青森港、八戸港から北海道を結ぶカーフェリー八戸港から国際コンテナ航路が就航している。

祭りはねぶたまつり、弘前ねぷたまつり、五所川原立佞武多、八戸三社大祭などが有名である。
県内では縄文時代の遺跡が数多く出土し、三内丸山遺跡(青森市)や二ツ森貝塚、是川遺跡(八戸市)などで住居や土器及び土偶が発見されている。

明治4年7月14日(1871年8月29日:以後新暦で記載)に廃藩置県の詔が発せられ、現在の青森県域には、旧藩を引き継いだ弘前県(弘前藩)、黒石県(黒石藩)、斗南県(斗南藩)、七戸県(七戸藩)、八戸県(八戸藩)が成立したが、同年9月4日にはこれら5県と北海道渡島半島に成立していた館県(館藩)の6県が合併し、弘前県が成立している。この時点での県庁は弘前に置かれている。
しかし、翌日の9月5日に野田豁通(ひろみち)が初代県大参事に任命され、19日後の9月23日に県庁を弘前から青森に移転し、県名を青森県とすることが決定されている。
県権令として菱田重禧が任命された。
今日の県庁に当たる民事堂で県議会が開かれ、この本庁以外に、弘前・福山・田名部・八戸・七戸・五戸に支庁が置かれた。
翌年の1872年(明治5年)には、戸籍編成のため県内各地は区・小区に分けられ、翌1873年(明治6年)には行政の単位として大区(区長)・小区(正副戸長)が設けられ、行政事務を行った。県内には大区が10置かれ、それぞれ大区会所が設置された。
6県の合併について、弘前県・黒石県は旧津軽氏領であり、七戸県・八戸県は旧南部氏領となっており、両氏は津軽氏の南部氏からの独立から始まり、弘前藩主暗殺未遂事件や野辺地戦争など確執が続いていたが、廃藩置県後に全国で最も早く合併を果たしている。
この合併を画策したのは、八戸県大参事の太田広城と斗南県小参事の広沢安任で、両人の連名で政府に対し5県合併案が8月13日に建言されており、内務卿大久保利通をはじめ政府高官による事情聴取の結果、9月4日に館県も含めた6県の合併令達に至っている。
この旧怨の関係を超えた合併に至った背景には、津軽と南部の確執とは無縁の斗南藩=旧会津藩の存在も少なからぬ影響を与えていると思われるが、そもそも両県とも穀倉地帯になりうる平野部が少ない上にやませの常襲地帯で冷害が頻発しており、特に斗南県に至っては戊辰戦争後に発足したばかりで困窮の極みにあったことから、過去の因縁に囚われている余裕がなかったというのが実情で、それに対し、弘前県は1県で他4県の石高合計の3倍以上(実高ベース)という財政力を有する八戸・斗南両県とは比べ物にならない大県で、その上弘前藩は戊辰戦争で新政府側に組していたこともあって、弘前県との合併により明治政府からの覚えも高く、両県の救済に有利と考えたのではないかといわれている。
この合併工作が、廃藩置県により成立した全国3府302県の統合・整理を目論んでいた政府との思惑と合致したものだったことから、早々に実現されたものと考えられる。
また、県庁移転について、当時県内で突出した都市だった弘前から一港町に過ぎなかった青森に移転されたものであるが、野田が県大参事に任命された折、大蔵省に対し21項目に及ぶ伺を立てており、その1項目目にある県庁の位置についての意見が結果的に採用されたものである。
その内容は、6県合併による県土は現在の青森県域に北海道渡島半島の一部と岩手県二戸地方が含まれたものであり弘前県庁では地理的位置が偏っていること、弘前県庁では旧藩の古い慣習に囚われてしまうこと、青森の港湾の将来性が見込まれること、となっている。これは、野田が戊辰戦争時に当地に半年近く滞在しており地勢に明るかったことから、着任早々にも拘らずこれだけの見解を持っていたと言われている。
なお、当事者であるはずの弘前において、6県合併や県庁移転について、特に関知していたような記録はなく、穏便に進められている。
しかし、県庁についてはその後、幾度か弘前移転に関する陳情がなされているものの、そのまま現在に至っている。

青森県旗




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