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日々明々

東北の人・建物・文化などご紹介しております。。。ご当地物も紹介しておりますので是非、ご利用ください。。。


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八戸三社大祭 

八戸三社大祭(はちのへさんしゃたいさい)は、毎年7月31日から8月4日に青森県八戸市で行われる祭である。
7月31日が前夜祭、1日が「お通り」、2日が「中日」、3日が「お還り」である。
「三社」とは、八戸市内の龗(おがみ)神社(法霊神社)・長者山新羅神社・神明宮のことで、三社の神輿行列と市内各町を中心とした組の20数台の華麗な人形山車が神社の氏子として市内を巡行する。
期間中は105万から110万人の観光客が訪れる。
2004年2月6日に、「八戸三社大祭の山車行事」として重要無形民俗文化財に指定された。

祭りの大きな特徴は人形がせり上がり、左右の大きく広がる仕掛けを持つ豪華な山車にある。
当初は1体の人形を乗せる程度だったものが、明治の中頃より物語を表現する山車に変化し、昭和50年代頃から徐々に仕掛けが施されるようになった。近年では煙が吹き上がるなどの仕掛けもある。
山車は町内ごとに製作されるが、これは明治時代に大澤多門が発案したものと言われている。

明治時代の中ごろまでは、江戸時代の影響を色濃く残した人形山車が使用されていた。明治20年頃から、様々な飾りをつけた風流山車と呼ばれる山車が流行し、江戸時代からの伝統的な山車は衰退していった。祭における当時の山車の位置づけは「附祭」とされたが、明治30年代から「山車」との表記が定着するようになる。
明治時代の山車の構造は、現在残されている当時の写真から見る限り、台車、岩や波などの飾り、人形の三層構造の山車となっている。
また、昭和初期までは祭り期間の間、丸い軒提灯が飾られ、1メートル程度竹に花をつけた「軒花」と呼ばれる飾りが商店街につけられた。そのほか商店街では祭りにあわせ店頭に蓄音機で音楽を流したり、活花を飾るなどの催しが行われていたようである。

昭和41年(1966年)から昭和49年(1974年)まで一時期「はちのへ祭り」と変更されていた時期がある。これは「全市的バックアップで東北四大祭りに肩を並べよう」という観光面における構想から行われたもので、当時資金難に陥っていた神社側と町内会側はこれをいったんは容認した。しかし、やがて神社側から「神社主体の祭りであることが忘れられてしまう。観光だけの祭りになってしまう。」との声が上がり、結局元の名称に戻された。

観覧・参加方法
有料観覧席 - お通り、お還り、後夜祭の各コースに数百席が用意される。詳細は八戸観光コンベンション協会に要問い合わせ。
三社大祭引っ張り隊 - 山車を引っ張るのは、基本的には各山車の町内の人たちであるが、平成19年(2007年)に八戸市外の人や観光客も申込みにより山車の引き子として参加できる「引っ張り隊」の制度が導入された。
引っ張り隊の内容 - はっぴ、花笠、豆絞り、公式ガイドブック、傷害保険付。申込み先は八戸観光コンベンション協会。定員は1日あたり40名(平成20年現在)。参加料は平成19年は2,000円であったが、翌年は直前に起きた地震の影響を考慮し、平成20年分については無料にされた。

八戸三社大祭


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弘前ねぷた 

弘前ねぷたまつり(ひろさきねぷたまつり)は、青森県弘前市で開催される弘前四大まつりのひとつである夏祭り。
大勢の市民が「ヤーヤドー」の掛け声とともに、武者絵が描かれた山車を引いて市内を練り歩く。
弘前ねぷたには扇ねぷた(扇型)と組ねぷた(人形型)があり、総数約80台の県内最多のねぷたが運行される。

ねぷたまつりの由来はさまざまある。
(伝説)平安時代の初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、敵をおびき出すために大きな人形を作った。
(伝承)文禄2年(1593年)7月に藩祖為信が京都滞在中に盂蘭盆会で二間四方の大燈籠を出した。
(定説)江戸時代元禄期の後半からの「七夕祭りの松明流し・精霊流し・眠り流し」や「盆灯籠」
などが融合変化し、現在の華麗なねぷたに発展してきた。

語源は、「眠り流し」→「ねむた流し」→「ねむた」→「ねぷた(ねぶた)」と転訛。(表記は佞武多、禰ふたと様々ある) 「眠り流し」は日本各地で行われている。農作業の激しい夏期に襲ってくる睡魔を追い払い、厄災・邪悪を水に流して村の外に送り出す行事のひとつ。

明治から昭和初期にかけて、主に当時の弘前市内に複数あった、町道場に通う士族や平民の子弟らを中心とした若者達が作り練り歩いたねぷたでは、他の道場または町会のねぷたと出くわすと、相手のねぷたに石を投げつけたり、竹槍や木刀等(時には日本刀)で乱闘し、しばしば死傷者を出したため、何度も「ねぷた禁止令」が出されたことがある。
これを「けんかねぷた」という。 (その名残が「石打無用」という言葉になってねぷたの肩部分などに記されているものもある)

日中戦争が始まった翌年の昭和13年から中断していたが、昭和22年に復活した。
昭和46年(1971年)には、陸奥新報社の創立25周年記念で、棟方志功がネプタ絵を描いた。 1980年(昭和55年)に「弘前のねぷた」が国の重要無形民俗文化財に指定された。 昭和58年(1983年)には初めて日本国外(アメリカ・シアトル市)で運行され、平成8年(1996年)には弘前ねぷた囃子が「日本の音風景100選」に認定された。

例年8月1日から7日にかけて弘前ねぷたまつりとして行われる。
最終日7日(午前運行)のことを「七日日(なぬかび)」と呼ぶ。
まつりの主催者は弘前市、弘前商工会議所、公益社団法人弘前観光コンベンション協会の3団体である。
企業主催のねぷたは少なく、町会・集落単位でのねぷたが多かったが、近年は任意に仲間たちが集まって参加しているグループねぷたが増加傾向にある。2011年は82団体の参加となった。

弘前市と友好都市の関係にある、群馬県太田市(旧・新田郡尾島町)と北海道斜里郡斜里町でもねぷた運行がされており、弘前ねぷたまつりに特別参加する年もある。
また、弘前市長など弘前市関係者が太田市、斜里町のまつりに参加する場合もある。
期間中、1日平均約50団体が参加するが、土・日などの開催日には参加団体が多い場合がある。2006年(平成18年)の場合、木曜日の8月3日に59団体、土曜日の5日には62団体と集中したため、両日は出発時間を30分早い、午後6時半からとした。
2011年は東日本大震災犠牲者への鎮魂や弘前城築城400年祭記念などをテーマに、7月31日に特別運行・8月7日になぬか日スペシャルが行われた。

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青森ねぶた 

青森ねぶた(あおもりねぶた)、または青森ねぶた祭(あおもりねぶたまつり)とは青森県青森市で8月2~7日に開催される夏祭りであり、毎年、延べ300万人以上の観光客が訪れる。
1980年には国の重要無形民俗文化財に指定された。

以前、起源としてよく知られていたのはのちに征夷大将軍となる坂上田村麻呂が陸奥国の蝦夷征討(三十八年戦争・第3期)の戦場において敵を油断させておびき寄せるために大燈籠・笛・太鼓ではやし立てたことを由来とするものである。
このため、青森ねぶた祭りの最優秀団体に与えられる賞として1962年に「田村麿賞」が制定された(現在では「ねぶた大賞」と名称変更されている。
しかし田村麻呂が現在の青森県の地で征討活動をしたとは考えられず、ねぶたの起源とされたものも田村麻呂伝説の1つと見られる。
現在では、日本全国にある土着の七夕祭りや眠り流しの行事(禊祓い)が変化したものと考えるのが主流で、現在の形式のねぶた祭りの発祥は浅虫ねぶたとされている。

藩政時代や明治時代には大型の灯籠を担いで町中を練り歩く行為に対し、しばしば禁止令が出された。
戦時中も禁止されたが、戦況が悪化した1944年には戦意高揚の為に解禁されている。
戦後は企業がねぶた運行の主体となり、観光の側面が強くなるようになった。
人形型ねぶたは元々は竹を曲げて骨組みを作り、指等の細かい部分はその上に貼った和紙に筆で描いていた。昭和30年代に北川啓三(後に、ねぶたの神様)というねぶた師が針金を用いて指を1本ずつ作ったり複雑な造作のねぶたを作ったことによって、ねぶた界に革命が起こる。
針金が登場した当時、一部では反発があったと言われている。
北川によってロウソクだった内部の明かりを蛍光灯に替え、台座にバッテリーを乗せ明るく輝くねぶたを作ることに成功しより芸術性と完成度を高め、後に「ねぶたの神様」と評される。
北川は既に他界しているが、現在の主流となっているねぶたの磯は北川が築いたと言える。

毎年8月2~7日まで開催される。
このうち8月2~6日が夜間運行である。
7日は昼間運行であるが、夜に海上運行と花火大会が催される。
また、8月1日には前夜祭が行われる。
開催にかかる費用は、約2億2000万円。

青森のねぶたには大型ねぶた、子供ねぶた、地域ねぶたがある。
子供ねぶた、地域ねぶたは主に町内会が主流となって運行するねぶたであり大きさも普通の大型ねぶたより一回り小さい。
子供ねぶたは8月2・3日の2日間運行される。
大型ねぶたは開催期中必ず運行されるが、奨励金の関係か2日と3日は大型ねぶたの運行台数が少ない。
昔は雨天中止になることもあったが、現在は雨天でもビニールをかぶせて運行される。
ただしねぶたの形によっては一部がビニールに穴をあけてはみ出してしまうこともある。
ビニールを突き破るのは持っている武器等細長い物や尖った物が多いが、馬の顔が突き出していたこともある。

ねぶたの運行に関して基本的な運営(ねぶたの隊列、山車の運行、囃子方)は各出陣団体によって賄われる。
それ以外の重要なファクターとしてねぶたをロープで引っ張る子供(現在は形式だけで実際に引く団体は稀)、ハネトがある。
特にハネトに関しては正式な装束をまとってさえいればどの団体のねぶたに参加しても自由であり、観光客でも参加することができる。
県内のスーパーやデパートなどでは、花笠を除いて一式5000円程度で販売されている他、ねぶたの運行ルート上には衣装のレンタルを行っている所もある。
こういった所では衣装の着付けもしてくれるので気軽にハネトとして参加することができる。

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